←  BGMが邪魔と考える方は■で止めてください

おじんのつぶやき

                      トップ | 宗教・仏教・道元 | ぶらりわが街 | 半生の一こま | 熟年夫婦ドライブ紀行 
222.本ホームページ閉鎖宣言(14.5.吉日)
 私は先月のある案内出欠はがきの近況記入欄に次のように書いた。

 遊びごころとはいえ、「私の人生周期でのこの世との別れは80〜83歳」、と自分のホームページで公表しています。そのホームページも、第二人生の一本の柱でもありましたが、最近、来年で満10年になるのを期してネットから引き揚げようと考えるようになりました。
 私は今年古稀ですが、、会社員時代までの第一人生に続く退職後の第二の人生も、ここにきて、分水嶺にさしかかってきている気がします。この三田会会務活動もひとつの柱として四つの大きな柱のもと、忙しく行動してきましたが、一部は昨年ころからソフトランディングにかかっています。
 第二人生も登りは10年、対象形で下りも10年、この分水「嶺」の踊場で足踏みが1〜2年として、人生周期に合致してきます。ともあれ、齢に応じた人生との係わり方をしていこうと考えている昨今です。

 このホームページを立ち上げたのは2005年の1月だった。来年の1月で満10年になる。

 私は、2004年の3月31日をもって、1968年4月1日を起点とする満36年の会社員生活に終止符を打っていた。会社員生活の終止符とは、経営企画部という最後に所属していた部門が経営上の抜本策として打ち出した人員削減の方針に自ら応じての早期退職であったが、7月生まれの私は、同年の7月で定年の60歳に到達する身であって、むしろ半端無しの定年退職気分であった。
 その後会社は立ち直ったようで、残っていた同期入社の者はつい最近まで勤めていたようだが、私は第二人生のただなかで、もう彼らとは異世界にいた。

 上述の近況記入文にある「4本の柱」とは、起点はそれぞれ少しは違っていただろうが、
 1.上述文のなかにある三田会活動。上記引用の出欠通知は私が出して私宛に集約されるものである。
 2.同じく地域基盤の「西東京市シルバー人材センター」における就業だけでない幅広い活動。
 3.好きな分野の勉強。未踏の山脈とか大河というような表現でこのカテゴリーを飾った。
 4.このホームページでぶつぶつつぶやくこと。これは上述のとおり起点は2005年1月。

 1.三田会活動について
 「三田会」というのは、知る人は知るところであるが、慶應大学同窓生会である。
 年度、地域、勤務先・職種、その他種々の分類で公式・非公式、数は非常に多い。会社員時代は親会社グループの万の単位での母数の会のなか、自社内でも支会活動があった。入社した年にこの会で箱根一泊が行われ、麻雀で冷や汗タラタラの経験をしたことはどこかでつぶやいた。
 まだ学生現役時代、出身地の松本で「松本三田会」名による塾の有名楽団を呼んだ一種の興行をしたこともどこかで書いた。いまでも高校を基盤とした三田会からは毎年お呼びがかかり、この会の会長は関東地区における高校同窓会の会長であるが連合三田会名簿には載っていない、いってみれば非公式会である。
 私の卒業年次では「109年三田会」なるところに属するはずだがお呼びがかかったことはない。
 とにかくこういう慶應大学同窓生会である「三田会」中の地域三田会に属する「西東京三田会」を基盤とする活動が一つの柱に”なってきてしまっていた”のである。

 ”なってきてしまっていた”、この表現は言わずと知れるところであろうが、自ら進んでいまがあるということではないことを意味している。私は早稲田からの落ちこぼれであり、周囲の親友は早稲田、大学野球などは早稲田ファン、こういうことはどこかで書いていた。慶應大学出身ということは、「地域との繋がり」、この観点だけでの一つのきっかけにすぎなかった。この自分が住む西東京市に三田会があったから入った。ただそれだけであった。
 しかし私の「いま」は、約100人を擁するこの「西東京三田会」において、会計担当(一人だけ)、事務局担当(一人だけ)、会長代行(異例だが新年度になって総会まで会長不在のため)の三つの役割を担わされた副会長に”なってしまっている”のである。
 私のような小者にとって「頂点」以外のなにものでもない。しかし、ここから飛び降りるわけにもいかない。
 後を託す人を育て円満に一般会員になっていかなければならない。ソフトランディングを指向しなければならない時期になっているのである。

 [注 : 従来は上記の会名は「地元大学同窓生会」でしたが、今回は最後になるので実名にしました]

 2.シルバー人材センター活動について
 ”活動”という表現は満足するものではないが、とりあえずいまほかに思い当たらないので仕方ない。
 シルバーには、自分が動けるのだから、「地域のためになにか役立ちたい」という想いで、退職後1年とちょっとを経た2005年5月に入会した。もともと収入を期待してのものでなかったし、入会時の調査書に希望職種欄があったので、パソコン教師とか学業教師とか事務所手伝いとか書いて、こんな業態に対してすぐに仕事が来るとは思っていなかった。
 しかし、この「就業」という面では2005年9月から2010年12月まで5年数か月、大手ストアの裏方での総務手伝い的仕事をし、その後また2011年9月からは二つ目の「学校警備」という凡そ希望職種とは全く関係のない就業に就いてもう3年になる。このHPのこのカテゴリーの第191号は”事件”のため欠番にしてあるが、就業に就いてのつぶやきも、客先に影響があったらいけないという観点で押えたが、多分少しはあっただろう。
 シルバーに関しては、就業のほかにセンター会員が組織する委員会に組み込まれて”しまっている”。これも、きっかけが「熟慮」したものでなく、あまり理解もできていない誘いに対して、「ああ、いいですよ」程度のことが始まりであった。広報部会員としてシルバー広報紙作成やホームページ改善に関与している。
 シルバーは西東京市内を36の班組織で運営されているのだが、入会してからの古手になってしまい、上記の就業や委員会に、さらに「班長」業務が加わった。会員入退会の動きも掴んだうえで、現在31人の班会員とセンター中央との情報連携役(配布や年2回の班会議主催)が主であるが、ボランティア活動などには率先参加となってしまう。1期が2年で、いまその1期目だが2期くらいはやらねばならないようだ。

 さてこのシルバーについてだが、山頂付近でのまだ1〜2年のアップダウンは免れないようであるとしても、自分としてはその後ソフトランディング体制に入りたいという意を持っている。「自分としては」、としたのは、周囲の目に、「まだ山頂付近でない、上がある」という見方をされる可能性があることである。
 就業については、連続的な仕事は現在のものを最後として、協働・共助の精神で、別の会員に譲り、以降は単発的な軽作業、例えば除草とか公園清掃その他美化の仕事などに、場合によっては就業期間制限になる前に申し出ようかとさえ思っている。とにかく今が山頂だという気持ちでいる。
 班長としては上記したように2期は覚悟しなければいけないと思うので山頂に滞留である。
 問題はセンターでの中枢に組み込まれた活動の部分である。
 広報部活動の大きな柱のうちの一つ、ホームページ改善については、一時、急峻な山頂に挑んだ:ホームページビルダーを最新に更新し何通りかの具体的新サイト案を作って提示するなど:が、その方針が結論的には部会としては逸れて、業者依存の体制を採ることになったので、この柱についてだけは山頂を過ぎたと思っている。
 しかし広報部活動のもう一つの柱である広報紙についてはまだ山頂を前にしている想いだ。つい最近までA3版で作っていた時期にすでにそのうちの半面を、もう一人の広報部会員と交代で担当し、それはなんとかやり得ていた。しかし、このたび改善の一環としてA4版への切り替えに踏切り、そのイメージ案は私もA3版の何号かを変換して示していたのだったが、もう一人の担当者の番にあたっての新A4版の本番があまりにも見事な出来栄えだったので、次の自分の番にあたって逡巡の想いが強いことが否めないところなのだ。だから、この面ではまだ急峻な山頂の前に居るのだ。
 ともあれ、就業については、自分の意思をセンター事務局と調整すればよいのだが、今までのセンターでの企画広報部員であった時代からいまの広報部会員時代、そしていまの班長時代(いろいろ斬新なことをしていると他人に見られている面がある)を通じての活動から、周囲から、次は理事だ、という声が出る惧れだ。これだけは固辞したい。シルバー活動は全体としては山頂付近での踊場に滞留していて、しばらくしたら、「下りのみ」としたいという意志である。ソフトランディング指向である。

 3.好きな分野の勉強について
 学校教育における勉強は上級学校への進学さらには就職「のための」勉強であり、第一人生時代はもっぱら仕事「のための」勉強であった。それに対し、あえて「のための」とするならば、第二人生の今までの勉強は、自分自身が、”こころ豊かになる”「ための」勉強、自分が志しての勉強であった。
 これについては、一時は、経済とか歴史とか哲学とか思想とか・・・・という分野での”山脈”を観じて勉強したが、なんといっても一番に観じたのは仏教思想だった。それは、別に「宗教・仏教・道元」というカテゴリーまで作ってつぶやいてきたことに反映している。この一環での学際拡大で、浄土真宗系の武蔵野大学の講座にも随分うち込んだ。手許に武蔵野大学長名の、”学校教育法第百五条の規定に基づき、本学所定の三鷹サテライト教室「サンガ(仲間)」仏教Aコース<仏教を学ぶ>(計百二十時間)を修めたことをここに証する”、という履修証明書がある。
 しかし、今年年頭の2013年の振り返り(第216号)で「武蔵野大学の講座は、もう満足、来期(4月から)からは浄土域講座から手を引く」としている。2013年度(25年度)は10コース以上の受講だったが、今は2コースだけの受講になっている。2013年の振り返りでは、「勉強に当たっては、本の新規購入よりもっと蔵書を活用しよう」、「雑学大学退会などがすでにこの2013年の先鞭だったのだろうか」(2012年のこと)などとも書いている。仏教勉強そのものの意欲は衰えていないつもりだが、継続して購読している「大法輪」も契約更新はせず、今ある宝の山を賞味するという質の違った勉強形態にしようと考えている。ソフトランディング指向である。

 4.このHPのこと
 以前はこのHPの更新が長く停滞するとその都度かなり意識したものだった。ところがいま未更新期間の最長をもちろん更新している。上記3項がソフトランディングを意識しだしたことと相応して、このHP更新への執着の意識も弱まっているのだ。話は逸れるが、日記も「手書き連用日記2000〜2009」に続いて2009年の途中からパソコンでつけていたが、最近、数日分を遡って書くことが多くなり、ついに先日終了宣言を書いた。
 このページの結論として言わんとするところは察せられると思う。

 このHPの更新は、余程つぶやきたいことがあったら別として基本的には止めます。但し、引揚げるのは満10年になる来年、2015年の1月としたいと思います。それまではこのHPの処遇、記録として残す方法など、を考え対応していく期間としたいと思います。
 閲覧したことがある方、さまよって漂着したのでしょうが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
 深志15回サイトのリンク、別途改めてご連絡はしますが、よろしくご承知のほどお願いいたします。
戻る