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宗教・仏教・道元
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「おじんのつぶやき」のカテゴリーの多くを占領するようになってしまった。カテゴリーを独立させてみる。
おじんとの二つのカテゴリーのタネが続くかどうかは保障がないが、今の段階ではこの分野に大きな可能性を感じている。
第70号からが独立ページで、それ以前の号は、「おじんのつぶやき」カテゴリーで続けていたものである。
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2014年(平成26年) |
宗教・仏教・道元 全般 |
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2013年(平成25年) |
宗教・仏教・道元 全般 |
164.あらためて「宗教」とはー2(11.24) |
158.『倶舎論』という森の前に立って(7.30) |
152.平成25年度、三鷹生涯学習講座(3.26) |
163.あらためて「宗教」とはー1(11.24) |
157.『大乗起信論』について(7.23) |
151.華厳思想をもっと理解したい(3.6) |
162.仏教学学習途上での混沌(10.8) |
156.仏教における「秘密」、「神秘」(7.18) |
150.和辻哲郎による道元・親鸞の「慈悲」(2.4) |
161.すべてが「あって」諸行「無」常を証明(9.5) |
155.仏教を廻る現在の心境(7.3) |
149.いろいろな気づき2題(1.14) |
160.アビダルマの周辺ー2(9.2) |
154.仏教についての今の想い(4.18) |
148.哲学・思想・倫理、そして宗教(仏教)(1.11) |
159.顕説と密意(8.12) |
153.たまげたランキング(4.1) |
147.いろいろ書いてるが題未定(1.14) |
2012年(平成24年) |
宗教・仏教・道元 全般 |
146.歴史認識の陥りやすい誤謬(12.22) |
141.親鸞の衝撃(5.6) |
136.六波羅蜜と般若波羅蜜(2.12) |
145.再び三度(みたび)「現成公案」冒頭(8.11) |
140.文殊師利と善財童子の出会い(4.14) |
135.二冊の対話本U:『利他』(1.23) |
144.ひろさちやの公開講座を聞いて(8.10) |
139.般若波羅蜜と六波羅蜜(4.7) |
134.二冊の対話本T:『親鸞と道元』(1.20) |
143.浄土教域への学際拡大(7.15) |
138.武蔵野大学オムニバス講座を終えて(4.3) |
133.私は何をどうしようとしているのか(1.8) |
142.仏教関係講座を受講していてのつぶやき(7.2) |
137.仏教理解への道程(3.25) |
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2011年(平成23年) |
宗教・仏教・道元 全般 |
132.私にとっての仏教は「実践哲学」(11.18) |
128.閑話・間話(9.18) |
124.道元禅と哲学に関する随想ー2(2.5) |
131.大乗への距離の縮小(2)(10.10) |
127.二乗、三乗、そして一仏乗(8.21) |
123.道元禅と哲学に関する随想ー1(2.3) |
130.大乗への距離の縮小(10.8) |
126.「正法眼蔵」で読む「こころ」(8.1) |
122.道元、ブッダ、哲学(1.7) |
129.混沌、我が仏教観(9.27) |
125.私の仏教観の位置づけ(3.7) |
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2010年(平成22年) |
宗教・仏教全般 |
道元関連・正法眼蔵関連 |
121.「最初の仏教」の周辺(12.22) |
117.宇賀神について(7.14) |
119.宗教・仏教・道元・哲学・独仏(10.18) |
120.純粋仏教(10.26) |
116.私の実家は代々神道(4.23) |
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118.原初経典で精神充足(8.26)
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115.立松和平を悼む(3.14) |
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2009年(平成21年) |
宗教・仏教全般 |
道元関連・正法眼蔵関連 |
112.小沢一郎の仏教観(11.18) |
104.輪廻転生を考える(3.14) |
114.遇一行修一行(ぐういちぎょうしゅいちぎょう)(12.18) |
111.『般若心経』考(11.8) |
101.「宗教・仏教・道元」をめぐる最近(1.19) |
113.私の「宗教・仏教・道元」観(12.18) |
110.テーラワーダ仏教(10.12) |
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106.大哲学者 道元(4.3) |
109.まず無常について(8.6) |
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105.道元の語られ方(3.22) |
108.「生かされている私」という言葉(7.28) |
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103.『正法眼蔵』の言語表現について(3.8) |
107,人は生きてきたように死んでいく(7.10) |
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102.正法眼蔵入門(1.24) |
2008年(平成20年) |
宗教・仏教全般 |
道元関連・正法眼蔵関連 |
100.コラム 私は私の読書術(7.25) |
95.仏教の人間観(4.18) |
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99.日本人宗教観の実情と私の求める仏教思想(7.12) |
94.仏教とこころの病気、自死(4.8) |
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98.葬式仏教と思想仏教(6.26) |
93.最近の仏教関係関心事(3.18) |
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97.業、輪廻論をいかに克服するか(6.2) |
92.世親と龍樹と(2.7) |
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96.混迷を極める私における仏教(5.13)
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91.「唯識」の前に「唯心論」(1.14) |
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2007年(平成19年) |
宗教・仏教全般 |
道元関連・正法眼蔵関連 |
90.煩悩(12.20) |
81.お経、般若心経について(7.24) |
88.「現成公案」冒頭から抜け出せない(11.5) |
89.「煩悩」から唯識の世界へ(12.15) |
80.現段階での宗教・仏教・道元(7.11) |
78.現成公案 U(6.3) |
87.まえがき等にみる仏教概観 W.(10.26) |
79.「仏教とはなにか」への立ち戻り(6.28) |
77.現成公案(げんじょうこうあん)(4.30) |
86.まえがき等にみる仏教概観 V(10.6) |
76.3人の仏教者、仏教学者の著作(4.17) |
74.眼横鼻直と空手還郷(3.15) |
85.まえがき等にみる仏教概観 U(9.20) |
75.「公案」、なんともいえぬ世界(3.31) |
72.道元を読むということ(2.15) |
84.まえがき等にみる仏教概観 T(9.2) |
73.不立文字・経外別伝(3.3) |
70.道元がさらに私をいざなう(1.7) |
83.私の今は小乗仏教者?(8.23) |
71.もう一度 宗教→仏教→道元(1.21) |
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82.仏教再発見中の私の今(8.8) |
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2006年(平成18年) |
宗教・仏教全般 |
道元関連 |
正法眼蔵関連 |
50.私における「仏教」の現段階(2.24) |
69.道元について思っていること U(12.17) |
67.正法眼蔵の全貌(11.28) |
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68.道元について思っていること(12.5) |
66.とにかく正法眼蔵(11.19) |
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55.良寛の詩歌(7.7) |
63.正法眼蔵随聞記 W 執するな(10.7) |
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54.「佗は是れ吾れにあらず」(6.28) |
61.正法眼蔵随聞記 V 卑下するな(9.8) |
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53.良寛・道元にせまる : 良寛T(6.12) |
60.正法眼蔵随聞記 U 自己を知る(9.8) |
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59.正法眼蔵随聞記 T(8.11) |
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58.「正法眼蔵」は何故魅力的なのだろう(7.31) |
2005年(平成17年) |
宗教全般 |
仏教関連 |
道元関連 |
32.宗教関係述懐四題(7.19) |
19.仏教と仏教系の諸教団(4.26) |
31.良寛さんのイメージ(7.9) |
27.私は宗教に何を求める?(6.17) |
18.仏教宗派と葬儀の進め方(4.22) |
11.「而今」(3.7) |
22.いずのみたまをさきはえたまえ(5.17) |
14.あの世の方(ほう)が近づいた(3.25) |
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