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ぶらりわが街

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133.第4回市内歴史散歩 (13.2.21)
 第129号にて計画した所属会の会内サークル「市内歴史散歩会」の計画は、第1回、第2回と順調に開催できて、それぞれ本ページの第130号第131号となったが、当初12年6月、第3回として予定していた「縄文時代から近代遺跡までを歩く」という西武柳沢駅起点、東伏見駅終点の予定は、6月だけでなく、回をずらして再計画した9月ともに雨天に見舞われ実施を阻まれてしまった。
 仕方なくこのコースは後回しにすることとして、次に予定されていて当初予定が第4回に充てられていた「西東京南部を歩く」という11月予定を、実質第3回として実施した。本ページ第132号である。

 以上に続く実質第4回、「宿場町田無を歩く」、を2月17日、開催した。

 本来「宿場町田無」と表現するのはよいことではない。
 甲州街道は五街道のひとつとして徳川交通施策上重要であったが、いわゆるそれ以外の脇街道、または脇往還と呼ばれる青梅道のような街道は主要街道の補助的位置づけで、幕府管理も間接的であった。
 そもそも、青梅道は江戸前期に盛んに行われた城郭修築などの石灰の大需要に、青梅上成木、北小木曽地域から江戸まで運搬するために設けられた脇街道だった。馬で運ばれるその石灰の継場として人家が軒を連ね、付随的に宿もできたということだろう。

 ただ継場村としての街なみの活気はあくまでも1600年代中期くらいまで、それは1630年代に江戸城大改修が終わったこともあるが、川越からの船運による輸送が大勢を占めるようになったことにもよる。

 そして、いまこの田無にて歴史的遺産として尋ねることができるのはむしろこの後の下田半兵衛家による治世時代のものが主となる。江戸中期から明治にかけてのものである。

   
観音寺で   田無用水から田柄川分水(左方)地点
   
総持寺で     軽便鉄道があったガード

 9時半に田無駅改札前、集まった会員は私を含め8名。
 @田無小学校内にある養老畑碑見学、→「やすらぎのこみち」を東進して、→A観音寺で宝篋印塔(六十六部廻国塔)他見学、→青梅街道を横切って「ふれあいのこみち」に出て東進し、→B下田家及び周辺の文化財見学、→続いてC総持寺、→D田無神社と廻り、→青梅街道と所沢街道分岐点へ。

 この分岐点には大きな庚申塔が建っていた。西原の郷土資料館に行くと、この位置の様々な時代の写真がある。両街道の広さの逆転、昔はなかった「保谷新道」なるものが起点になって突貫しているなど感慨深い(第127号参照)。この庚申塔、→E「柳沢庚申塔」として少し青梅街道を上ったところにあるので見学・確認、→青梅街道を横切って対面、富士街道の起点になるところに「東高野山道道標」がありそれを確認していった。

 「東高野山」は名前の通り真言宗の寺の山号。元の山号は違ったが、本山の奥の院を模したような石像・石仏などの配置で「東の高野山」、すなわち現山号になったようだ。総本山は言わずと知れた「高野山金剛峰寺」、この東高野山は練馬区高野台にある真言宗豊山派「長命寺」である。

 ここから敢えて富士街道に入らず青梅街道を西武線線路下を通り少し東進してから細い道に折れて北進、再び
 
北向き地蔵
西武線下ガードを通るのだが、このガードこそ、谷戸の中島航空金属田無製造所(現住重)に向かう中島飛行機武蔵製作所からの「引込線」ガードだったところだ。この引込線、762ミリの軽便鉄道だったようだが、跡が確認できる唯一の場所である(詳細は牛田守彦・高蜿ケ久『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』ぶんしん出版参照)。

 続いて、富士街道と深大寺道の交差するところにある、→F六角地蔵赤幢を見学。昔の地図にはない保谷新道や新青梅街道が賑わっている一方で、昔の地図にはあったこの「深大寺道」、いまは人と自転車しか線路を越せない道となっていることに私は常々感慨を覚えていた。

 富士街道を少し引返して前述「引込線」に続く道をずーっと北上、新青梅も渡り、保谷新道も越えて一気に、→G西浦地蔵尊へ。別名「北向き地蔵」。そこから西へ歩を向け、→H石製尾張藩鷹場標杭がある個人宅前へ。生垣越しに並んでいることを確かめ、詳細は資料の写真を見ていただくだけとし、そこを最後の立ち寄り地としてこの日の歴史散歩会を終えた。


参考 :
  第4回歴史散歩パンフレット(dai4kairekisisanpo.pdf へのリンク
  なお、「やすらぎのこみち」「ふれあいのこみち」については、第73号を、総持寺については、第35号を、田無神社については、第46号を、田柄川(用水)については、第121号などもご参照ください。
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