復活

おじんのつぶやき



  68.復活の復活といこうかな(20.03.22)

 67号は昨年2月だった。1年1か月の空白、他人に迷惑をかけるわけでもなし、それにしても身勝手というかいいから加減というか、とにかく1か月前ころからつぶやきの続きをしたい想いを持つようになっていた。ただ確たる中心話題があるのではなくいろいろなことが雑多に頭の中を巡っていた。なんとか1年間を振り返って今の自分に追いついてみよう。

 
1.身体的状況

 昨年の誕生日で満75歳になった。後期高齢者入りである。

 これに先立って、会社員時代の入院時より2か月に一回の通院で診てもらっていた当初東京日立病院、現東都文京病院のT先生に、都心に出てくるのも疲れるので後期高齢者への移行を機に地元に替わりたい旨の話をしていたら、容易いこととばかり、というか待ってましたとも感じられる対応(2月時点で先生につぶやいたら、4月時点で用意され、診療が終わったら先生や大勢の看護婦から丁寧に見送られた)で、あっけにとられる想いで病院を後にしたことが思いだされる。

 私の入院は56歳時点に遡る。2001年、平成13年だった。勤務していた日立系共同ビル内に診療所があり、胸の痛みを訴えて診ていただいたら東京日立病院を紹介された。診断書と入院証明書がある。6月21日付の診断書の傷病名は「肺炎」、ところが入院証明書では、傷病名「心不全」、その原因「拡張型心筋症」、6月22日から7月26日まで入院したことになっている。この病院は先生の専門は表面に出ておらず外来では「内科」というくくりで5部屋並んでいる。
 私の入院時いきさつを考えてみると、最初の先生(当時院長、専門は判らない)が診てくれたあと内科内部でレントゲン画像などをみてその後ずっと診て下さったT先生に引き継がれたものと思われる。当時副院長のT先生は循環器専門だった。
 いまになって気になるのは、入院証明書を書いてくださり、入院中も診察に回ってきてくださった医師はうら若い女性で、まだ医師の卵であり、この病院在席中の指導医師がT先生で、エコーその他私の検査や診察の際はいろいろ指導されていた。うがった考えをするとその女性医師も循環器専門で、私は実験道具だったのかとさえ思える。
 東大系医師の病院だが、女性医師は私が退院してまもなく別の職場に移って行き、T先生の2か月に1回の診察はいつも簡単なものだった。2003年から2019年、足かけ16年通った。

 ともあれ、紹介状は「循環器の先生」宛だったのでそういう科がある病院ということで西東京中央総合病院に行った。
 このあとが混沌で実はいまもまだ落ち着いていない。



 西東京中央総合病院の循環器の先生は紹介状内容に不信を持ったようだ。私は中身は見れないから何が書いてあるかわからない。CDも添付されていた。予想するところでの不信感は次の二点だったのではないかと思われる。
 ① CDを見て「拡張型心筋症」に対する疑いと後方の「肺」の異常らしさへの疑い
 ② 拡張型心筋症対応の薬以外の各種薬の処方
 結果として先生は院内紹介という形で呼吸器科の先生に診てもらう日程を組んでくださった。
 ところが、呼吸器科の先生は、少し診ての後、詳しくは他の病院に紹介状を書く、と。結果武蔵野赤十字病院へ。

 赤十字病院呼吸器科では初日は諸検査、そしてその結果で「間質性肺炎」でその病態を説明して下さった。
 しかし、大事という段階でないらしく次回は3か月後の11月、その次はなんと5か月後の4月。

 西東京中央総合病院では薬の処方を押しつけられている(?)のでほぼ2か月くらいの間隔で通常診察をしているなかで、病院を纏めた方がいいのでないかという。ところが先に日赤になっている呼吸器科は「肺」の状況を診ていくだけ。
 次に西東京中央総合病院循環器科かなり大部の資料?含む循環器科への紹介状を作ってくださった。薬の処方については最初は宙に浮いた形だったが、日赤での呼吸器科2度目診察の折、引き継ぐ、そして処方してくださった。

 ここまでで終わりたいところだが、循環器2度目のとき、次の呼吸器予約になっている日に「腎嚢胞」に血のようなものが見られるのでCTを採りたい、という。腎臓は循環器科だろうか、いや日赤には腎臓内科なるところがある。今度はそちらにでもまわされるのだろうか?終局に近づいたようでありながら不安定。新型コロナウィルスと同じだ。

2.コロナウィルスの影響

 もう「たかをくくった」状態だ。3月は期末だ。私が特に関係するのは西東京三田会である。

 今度の総会は役員の改選期に当たる。最初の1年は会長兼会計だったが2年目に至って、会計は若いやり手が出てくれて今度の会計を担う理事になってくれることも承知してくれている。だから会計業務は心配ない状態にある。一方会長職については退任させていただき下野したい想いがある一方で、打診している人がウンといってくれないため宙に浮いた状態にあり、諸会議で打開したいところだった。

 ところが3月に予定されていた新年度の総会対応の諸予定が見通したたない状況になってしまっている。
 1月の新年会も役員会もすんなり消化された。確かにそのころ中国武漢での新型コロナウィルス情報は伝わってきてはいたが「他山」扱いだった。3月に役員候補選任委員会そして役員会予定もすんなり組まれた。
 しかしそのうちに怪しくなってきた。市の公共施設会議室が3月は15日まで閉館になったのである。2予定が15日以前に組まれていたので、急遽後半に変更。その後公共施設閉館が3月末まで延長。会議は4月にずれ込み依然決められない状況、4月のイベント予定も怪しくなってきている。
 この間、私のメルマガ「西東京三田会通信」も2月15日の第90号を配信した後、二転、三転、「臨時号」、「臨時号訂正版」と相次いで配信する始末。3月15日の第91号は注意深く諸項目に変更可能性の注をつけて埋めたが内容は薄い。

 実は、私は武蔵野大学の三鷹サテライト教室でのいくつかのカルチャー講座のなかで1か月1度2時間の連続講座「ぶらり西洋哲学の森へ」を数期にわたり受講しているのだが、1月15日にはハイデガーからサルトル、カミュを勉強した。私はいつも後追い型で、1月末から2月初にかけて、カミュ『異邦人』、『ペスト』を、サルトル『嘔吐』を読んだ。『ペスト』は一時期はまさに現実と併行して事態は進んでいたが、当然ながら『ペスト』は先に終息に至った。その後カミュ『ペスト』の売れ行きがよい。
 この『ペスト』終息を見届けての2月15日号メルマガだったので、3月後半の行事や会議予定などをを組み込み広報した。甘かった。こんなにも世界的拡がりになるとは予想していなかった。

3.その他

西東京三田会
 最近の状況は上述した。
 会長2年目は会員増強を目指した。塾からの資料に基づき、ほぼ5年毎の作業だ。しかしこちらの成果はあまりよくない。新たに参加した「西東京まつり」での成果、12人を合わせて34人の新人を迎えることができ、大勢は好感をもたれているが「西東京まつり」成果以外の部分は呼び掛け人数対比での成果率がよくない。
 塾情報は実家だから返送率は多くないが、肝心の塾員は西東京市外に居る人が多そうだ、で逆に、「西東京まつり」では塾情報にない人の多さを知った。多いに勉強になった。

シルバー人材センター
 シルバー人材センター関係はどこまで書かれているか?ともあれ、いまの就業は「美化」と市報配布。配分金は両方合わせて1か月約4万円。「美化」は、5年半の仕事2つを経て3つ目で3年目であるが、時間少ないものの一番つらい。
 事務所は移って以前のようには行きやすくない。広報部会員は続けておりある時期まで3人で順番に製作していたシルバーニュースも一人辞めて2人の残り組になっている。

武蔵野大学三鷹サテライト教室
 仏教関係の受けたい講座が少なくなっている。浄土系講座は数年前一通り受講して「もういい」という状態になっているので浄土系以外の少ない講座を細々続けるという結果となった。中野東禅先生関係は上期「正法眼蔵発菩提心」他、下期「典座教訓」他でそれぞれ10時限であったがその他は「唯識思想を学ぶ」など断片的な数時限講座を取ったが、それ以外の異色講座として西洋哲学史を受講した。月1回で3月分が延期になってどうなるかわからない状況にあるが来期もまた申し込んでいる。難しくてどれだけのものがえられているかわからないが続けて行きたい。

その他
 ゴルフについては、「首都圏あきつ会」、「四三会」(会社同期会)、「西東京三田会」の3団体が不参加をなかなか認めてもらえていなかったが、間質性肺炎のことや就業のことなどから前の二者は不参加が認められた。西東京三田会も代替わり時期でなんとか引退を認めて欲しいものだ。

身の回り
 令和2年に入ってからいろいろ心配の情報がある。ひとつひとつ適切に対処していきたい。

 

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