復活

おじんのつぶやき



  59.ウチダ流読書術とはー2(18.12.06)

 『街場の読書論』は、前号ではちょっと狡い下心があって入手したことを書いたが、著者の「あとがき」によるこの本の性格は、著者内田樹が書いた、“「書物」について、広くは「書くこと」についてのエッセイを収録したもの”、と言う事になっている。  数えてみたら75話(?)もあった。500ページ超の新書、2センチ厚でとても片手で持って立ち読みはできない。出典は主にブログ日記で、メディアに寄稿したものも加えて、全体に加筆修正しているという。
 いわゆる「コンピ本」である。コンピレーションという語は音楽用語だが、数多いエッセイがエディションによって大きな流れを醸し出すという意味では音楽的とも言えよう。しかし内田の本が全部そうかというと、ご用心だ。かつてこのHPの第35号で、『他者と死者』について解説者の言を引用したが、特に、“「要するに」と一望俯瞰的に早分かりしたいというような横着はお許しにならない”、本もあるのである。

 ともあれ、『街場の読書論』はコンピ本であって75もあるエッセイ全てに、なるほどなるほどと感じてしまう(これは内田先生の本来的に望むところではない、批判的に読めとはどこにも書いてないものの、このエッセイの大半が特定の著作に対するコメント=単になるほどなるほどという単純な「同意」だけではない)のだが、以下、いくつかの中から特に感銘したものを取りあげてみようと思う。

 1.この本は『読書論』なのだが、敢えて『読書術』の観点から見てみよう。

 私は本を読まずにご飯を食べることができない。〈……〉もちろんトイレに入るときは必ず本を読む。〈……〉当然、電車に乗るときは必ず本を読む。途中で読み終えてしまったときの絶望を考慮して、忘れず「控えの一冊」も持参する。(p17)

 ……どのような説明の仕方であれ、「大人になれ」という遂行的なメッセージをそれが発信する限り、私はその言説に耳をかたむける用意がある。
 明日も一日読書だ。
(p155)

 二つの引用文のうち前者は前号でも引用した。後者の文は一つのエッセイの最後である。最後が「明日も一日読書だ」なのである。凄くこの短い結語が脳に染み付いている。

 次のように書かれているところもある。両親が『少年少女世界文学全集』を購入、毎月一冊くるから読むようにと命ぜられ、素直に従って最初に届いた本は「南欧・東欧編」、内容はほとんど覚えていない、としながら、
 ……我慢して最後まで読んだ。毎日学校から帰ってきて、決まった時間に本を開いた。それでも、読み通すのに一月以上かかった。読み終わる前に次の本が届いた。これには『ガリヴァー旅行記』と『クリスマス・キャロル』が収録されていた。これは大変面白く、一〇日ほどで読み終えた。本を読む速度というのは、こんなに速くなるのかと、ちょっとびっくりした。私は本が届くのが少し楽しみになってきた。……(p25)

 要は、読書に関して「技術論」として速読法などというものはそうやすやすと身に付くものではないということを思い知らなければならないという事だ。前号で引用した旧サイト「道元100号」でもそういう結論に達していたはずなのにいじましいものだ。
 執着というか、打ち込み方というか、好きの程度というか、文化資産というか、神童との差というか、・・・・・・。私との距離。


2.学力について

 中学2年生用国語教科書のために書いた「学ぶ力」という文章が再録されている。非常にこたえた。

 〈……〉「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。〈……〉「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。〈……〉わたしはそうはおもいません。

 「学力」という言葉をよく見てください。訓読みをしたら「学ぶ力」になります。わたしは学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない、わたしはそう思います。

 「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なものだと思います。「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。

 人間が生きてゆくためにほんとうに必要な力についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」とくらべたときの力の変化についての情報なのです。

 「学ぶ力」も〈……〉時間の変化のうちにおいてのみ意味をもつ指標〈……〉その上で「学ぶ力」とはどういう条件で「伸びる」ものなのか、〈……〉第一の条件は、自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という「学び足りなさ」の自覚があること。無知の自覚といってもよい。これが第一です。

 第二の条件は、教えてくれる「師(先生)」〈……〉ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、あったことのない人を「師」にみたてることも可能です。〈……〉生きて暮らしていれば、至る所に師あり、ということになります。

 第三の条件、それは「教えてくれる人を『その気』にさせること」です。〈……〉師を教える気にさせるのは、「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、〈……〉学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることは何でも吸収しますという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。

 私は「本当に学力=学ぶ力がついてきている」と自覚できるような時期は「退職後」といってよい。小・中学生時代はたまたまテストの成績がよかった、いわゆるクラスでナンバーワン的に「できた」が、学ぶ力はほぼゼロ。その後の退職に至るまでの時期は徹底性、自己自覚性に欠けていた。

 小学生時代はまだ「学ぶ力」を伸ばす余力はあったはずだが、環境というか文化資産というか、そういうもののせいにするのはよくはないのだが、小学生なりに心豊かで、学ぶ力を呼び寄せる問題があまりないことが現実ではあった。
 中学生時代は、「学ぶ力」は小学生時代同様に横においても「テストの成績はよかった」が、「問題」は学ぶ力の方向に向かうものではなかった。むしろ方向は逆だった。3年間、クラスのルーム長を、今になって思えばなぜあれほどと思える「過剰意識」で、50人のクラス成員ひとりひとりの動向に常に一喜一憂している毎日だった。その辺のことは、旧サイト「半生の一こま」第1号に軽く記載している。いいわけにはなるが「学ぶ力」を伸ばす余力どころではなかった。

 そして高校時代はどうか。浪人1年を含めた4年間は「学ぶ力」を伸ばすのでなく、「試験の点数を伸ばす」ための努力がされただけというように今では総括できる。これについては微妙な部分もあり、中から高への、そこにあったエスカレーターに乗っただけということとの違いをもっと真剣に自覚するべきだった。「大学で学ぶんだ」という強い方向性をもって、集中・夢中・強度や深度において「学力」を伸ばすという方向に行くという機会にしえなかった。経済的な面(言い訳)もあって強度・深度(予備校に行かせてもらうなど)も弱かったが、中学生時代との「校風、生徒の自由さ」(クラスないし学年の特定の者への心的注力など全く必要なく、かつ両親・兄三人より上級学校へ向かうことも当然に家族からみられているなかでの「我がまま」的状況に甘えていた)などへの反動でもあったのだろうか。

 大学時代。「学力」、「学ぶ力」と言う事に関しては高校より上(じょう)なるも、「集中・夢中・強度や深度」において劣っていた、そう思う。「就職のための」、という意識はほとんどなかったが、学ぶ力の方向がぶれていた。
 横道に逸れるが、高校時代と大学時代とはその後(会社員時代から現在に至るまで)の振り返り方が随分違う。まだその内実が整理・総括できてはいない。高校は同期の繋がりが濃密、大学は地域(それも出身でなく現住地)での同窓生の繋がりが濃密、このへんについては何とか後日究明してみたい。

 会社員時代。別のところでも書いているが、「今の日常を送ることができる基礎」=「年金受給権」を得ただけ。物理的長さでは小=6、中=3、高=4、大=4、の17年のほぼ倍の36年だが、いまや一言でしかない。


 ともあれ、いま私の書棚の本はほとんどが退職後の入手本である。もともと実家時代(高校まで)の物は教科書だけだが、再び故郷を訪れるまで保管していてくれるほど悠長な場はない。お蚕さまが天下の時代だったから。大学時代の物は教科書とは違って保存しておきたいものもあったはずだが、下宿から実家に送ってしばらくして、社会人になってからだが、郷里に帰って選別しようと思ったら処分後だった。会社員時代の入手本は、退職後、殆ど、忌み嫌う想いで処分した。まさに目の前の仕事の「ための」書物、短目線であることはなはだしかった。いわゆる経営関係本であった。個別に名を出すのはどうかとも思うが、あの黄色い日経新書?、ある時期は30冊くらいあったがいまは1刷もなく、正式な名に?をつけるくらい。当然どういう本があったかなど全く憶えていない。

 いまは、世界を、自分を、社会を、宗教を、……、知らないから知りたい…、そういう想いの本ばかりである。ただ入手するも読破できていないものも多く、狡(こす)い下心は繰り返してしまったのである。
 内田樹ほど「集中・夢中・強度や深度」において劣るが、等身大な読書で自分をして成長の実感がもてるように今後もして行こう(敢えて「努力」という語は入れないこの語のイメージが、かつてといまでは替わってきている)。
       

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