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おじんのつぶやき



  58.ウチダ流読書術とは(18.12.02)

 『街場の読書論』は正直なところ他の内田本とは違った下心があって入手した。

 “智を求める心、というか「求道心」なんていったらキザで、まあ強い「関心」とでもいったらいいか、そんな気持ちが日常続くなかで、関係書籍をどんどん入手していくのだが、読みきるのが追いつかない、そこで「読書術」なるものに目が向いたのであった。そして宗教・仏教・道元第100号に書いたように、「読書術」ということはそのときはイコール「速読術」ということで、宗教・仏教・道元に関わる書い貯めている本をもう少し早く読みこなしてしまいたいということが唯一の関心事だった。”
  (http://higuchi-akiro.net/subsite1/ojin102.html   http://higuchi-akiro.net/subsite1/dogen100.html ほか)

 08年ころに真剣に追及していて、得るものがないままその後もずっと、“本当になんとかならないものか”、と心の奥底に抱えていたことが、書名を見て再び頭をもたげたのだった。要は「技術論」追求である。

 当時とは少し違って、内田樹・平川克美の本、哲学の本などが身辺に山積されている。武蔵野大学社会連携センターでの西洋哲学関係講座受講の際、先生と対話する形になっていたので、パスカルについてやっていた時だが、“「パンセ」も上・中・下と3冊、いずれやるだろうカントの3批判書もみな数冊、一体どうやって先生は読みこなしているんですか?”と質問したことがあった。その先生は、主著について、“また読んでみると今までとは違う発見がある”、などと言って、2時間の講義時には10冊以上の、付箋がいっぱいついた本を持ち込み、所定の講義時間より前から、早く来ている受講生には話しかけている人だった。しかし、私の質問には、正直なところ納得がいくご返答は頂けなかった。

 技術論の追求心であったが、それにしては『街場の読書論』は厚かった。500ページを超える新書版だ。
 やはり技術論ではなかった。しかし十分に示唆に富んでいた。“最強の読書エッセイ”、その辺を自分の覚えとしてメモしておきたい。

 私は本を読まずにご飯を食べることができない。〈……〉もちろんトイレに入るときは必ず本を読む。〈……〉当然、電車に乗るときは必ず本を読む。途中で読み終えてしまったときの絶望を考慮して、忘れず「控えの一冊」も持参する。(p17)

 私も似たところはあるが、徹底性は全然違う。さすがに食事と読書の併行はできない。トイレの中の小さな書棚は、難読字とか仏像知識とか……、要は手に執ってみるときもあるが、どうでもいい本。電車に乗るとき(機会はものすごく少なくなった)は2冊以上持ってはいくのだけれど、目的ごとへの準備あるいは終わっての余韻等や、電車内の周囲の状況などをぼんやり眺めたりしていて、肝心の読書時間は少ないかまたは全然ないことが多い。
 
 
本を読むときも本に「没入」なんかしていない。〈……〉本を読みながら、原稿を書いているのである。本を読んでいるとき、しばしば本を読むのを止めて、本を手にしたまま〈…〉中空を凝視している。その凝視が数分続くこともある。これは本の中のある一行に触発されて、脳の中で轟々と渦巻いた妄念が脳内テキストファイルに記録されている状態なのである。(p18)

 このことも私もしょっちゅうだ。それが「数分」でなくもう読書は続かない方が多い。それなのに、脳内妄念(このHPで感想を書こうと文章形式で脳内をめぐる)をメモもしてない、あとで、せっかくいい着想だったのに、と思っても形にできないことがほとんどだ。

 小説を読むというのは(哲学でも同じかもしれないけれど)、別の時代の、別の国の、年齢も性別も宗教も言語も美意識も価値観も違う、別の人間の内側に入り込んで、その人の身体と意識を通じて、未知の世界を経験することだと私は思っている。(p23)

 このことが非常に大事。内田の各種著書からその都度啓発されていつも意識するよう心がけている。「俯瞰的」とか「鳥瞰的」視座ということを私はよく使うようになった。しかし私と内田とはスケーるが全然違う。「ジャンル」においてだ。小説、演劇、マンガ、音楽、…… 能、武道、……。私はあえて言えば「人文畑」だけだ。
 しかし、「心掛け」においては「常に鳥になってみたらどうか」と考えることを身体化しようと想っている。

 23ページから30ページまでの、「私の本棚」というエッセイのなかで内田の育ちが判る。
 10歳から12歳にかけての、幼い私の「感情教育」は『若草物語』に始まって、『飛ぶ教室』で仕上げられたように思われる。〈……〉『少年少女世界文学全集』で「読むこと」の喜びと基礎的なリテラシーを学んだ私は、次に父母の書棚に不法侵入を企て〈……〉
 そして、吉川英治コンプリートコレクションを夢中で読み、そして『異邦人』にまで、小学生の時点で接していたようなのである。ただその時点では、まだ読んではなかったのだろう。
 
小学生の私は、自分は果たしてそれが読めるような知的な大人になれるだろうかという不安を感じていた〈……〉私はほとんど家の書棚によって作られた人間のようである。(p30) 

 上記で、内田樹の「神童」的面が凄く大きいと感ぜられ、当然それが第一であるが、少なからず「文化資本」の違いを意識せざるを得ない。
 「文化資本」というものの知見は内田の『街場の現代思想』から得られて、なるほどと思い、既にこのHPの第52号の3で触れている。
 この「文化資本」に照らして私を上記内田の育ちと比較するとき、私は、地方の貧農の4男、冬は家の中の水分という水分はみな凍る隙間だらけでコタツや布団にもぐるしかない日常、夏は家の中全体が「お蚕さま」に占領され、夏休みは午前も午後も桑むぎや「お蚕さま」の世話に明け暮れる日常、春・秋は五反百姓として田植え、稲刈りの手伝いをする日常、これが小・中学校時代であった。兄たちからのお下がりを含めて、「活字」というものは、教科書以外にはないということが実情であった。
 ただ、勉強は「できた」方で、高校は自然の流れで地域の最上級学校にクラス1人(5クラスの学年では8人)進学したが、その後は見方によっては悲哀を経験した。初年度大学入試に失敗して浪人に。このときの過ごし方である。田んぼ、畑の仕事は周りにある。意思は弱く、自宅での自主勉強で苦手教科が遠のく(高校3年間は理科科目に関して理系の化学・物理を採っていたが、入試時、自分の性格など考慮して文系を受験、初年度は受験時の理科科目として化学・物理にも対応し得たが、さすがに2年目は受ける理科科目がなく、受験校もかなり絞らざるを得ない状況になっていた)。「クレオパトラの鼻」ではないが、もし「予備校に行かせてもらっていたら」その後の人生は変わっていた、などという妄念も沸くわけである。

 少し余談(でも示唆を受けた)だが、「文化資本」、フランスのピエール・ブルデューという社会学者がこの概念を使って社会理論を構築した。私はこのブルデューに意外なところで再会した。『同窓会の社会学』、2007年時点で筑波大学教授である黄順姫(ファン・スンヒー)著、世界思想社刊。「同窓生の身体文化の分析」をブルデューの「ハビトゥス概念とその理論を基盤にして行う」、としてかなりの紙数を割いている。「文化資本」という用語は出てこない。「ハビトゥス」は何回も出てくるが、それが「文化資本」かどうかは分からない。しかし、ブルデューの主著『ディスタンクシオン』はかなり参照されているようだ。
 詳細には立ち入らないが、「文化資本」概念を、被害者とは言わないまでも、「受け身」意識だけでみるのはいけないという反省的知見が得られた気がする。私がM・F高校出身だということ、K大学出身だということ、これらの事象自体が、そうでない人たちにとっては、私が、内田の少年時代を「恵まれた環境で過ごした」と考えることと同じじゃないか。そのように「俯瞰的に」みなければいけないという知見である。

 『街場の読書論』から受けた示唆はまだ序の口であるが、ページを一端締めて、連続ものとしよう。
 例えば私は小中学生時代、「勉強はできる方」と書いている。この「できる」と「学力」は全然ちがう。ずっと後ろにある「学ぶ力」というエッセイ(?)があるが、私の過去人性を真摯に見直さなければいけない。
 とりあえずこの号は締めます。
 
       

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