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おじんのつぶやき



  54.気になる言説(18.05.29)

 私は、ある会において微妙な立場に立たされてしまった。
 その会の総会で、その立場に選任される議題があり、そこでの決議も相まって何回も公式的発言の場に立たされた。選任される議題は当然別の者が説明するわけであるが、私は他にも役職(会計)を担当していて、さらにその役割には後継者が提案されていない、加えて新しい役職に選任される、その役職に選任されれば、今期これからの方針説明あり、又会議後には新役員ひとことありで、それだけではない。総会一段落後の懇親会ではまた挨拶である。最低5回はマイクの前に立たなければならなかった。話が下手で、しかも声帯が細いのか狭いのか知らないが、自分でも録音されたものにはすぐに嫌気がさすくらいに聞きずらい話し方をしているのである。嫌な時間帯であった。

 懇親会では新しい役職立場上もあって十分に飲み食いができなかった。私的な二次会の話が耳に入ったので加えていただいた。私的には当然「ウマ」が合うひと、合わないひとがいるわけで、後者のひとを上手に避けつつ二次会に臨んだ。
 「ウマ」が合うひと=同じ系統の思想、「ではない」。要はなんでも言い合える人の集まりとも言えようか。
 そこである氏から言われた。「同じことを三度も言うんじゃないよ。結局、自分自慢をしているだけじゃないか」。
 数人の会ではあったが、隅で二人だけの議論であって、他の人達はそれぞれ隣りどうしなりでにぎやかにしており、聞き入っている人はいなかった。私には、全く思いもよらない意見で、私はもちろんそういうつもりはなかったし、その時点で理解ができなかったので、とにかく私の思っていることを伝えたくてその都度話したんだ、かなり議論したが、氏の言ったことの理解は未だできておらず、「まあ、まあ」と氏は席を別に移してその時は過ぎた。
 「三度」がどこでのどの言、どの言、どの言が相当するのか、「同じ事」とはどんな内容をもって言うのか、「自慢」話というのはさらに判らなかった。今後は言説に気を付けるよ、とは言ったもののある意味不思議な議論であった。

 もしかしたら、という範囲でその日の夜のメールで、「私は」という主語での話し方は極力控える、とはしておいた。
 これは、先立つ選考委員会で、その任の候補に挙がってきた折、かなり「私は」を主語に、前二代のその任時代を批判的にそれ以前を引き合いに出して、「こんな考え方をしているんだよ、こんな異端的(周りは入れ替っていて前二代以前を知る人がいない状況だったので)考え方をしているんだよ」と、自虐的とさえいえることを、前二代関係者が多い中でもかなり失礼にも言ってしまった。本音むき出しであった。
 しかし、考えてみると、それでも結果的にその任に選定されてしまった以上、その時点を「区切り」として話し方を変えるべきではなかったか?その点が突かれているとしたら、その通りであろう。何回かのマイクの前で話す内容は、依然として、「私は」「こう考えていますよ」を形を替えて話していたのだろう。録音はしてないから検証はできない。

 そして、さらに読んでいた本のなかに、こんな言説をみてまたハッとした。
“「おいらは四十代のとき、こう過ごしたよ」というような手柄話は何の役にも立たない」”、「四十代の過ごし方」という題で取材に応じたことを書いた短文だ。
 これを「この会での過ごし方」という主題で話をする場合に、「以前はこうだった、私はそういう環境で過ごしてきた」、という言い回しは、良きにつけ、悪きにつけても「手柄話」として聴き取られてしまう、何の役にも立たない、と言っているのだ。
 この会の会員の方々が、「どのような歴史的文脈の中に生まれ育たれ、どのような状況に投じられており、どのような問題に直面されているのか」。
 上記短文の、「世代」を「この会の会員の方々」に置き換えて文を繋いだのであるが、やはり主語は、「私は」であってはいけないのだ。その任に着いたものの言説の責任は重大である。物言えば自虐的言い回しでさえ「手柄話」と採られ、さらに何かにつけ意としないのに、ちかごろはやりの「忖度」されたりする。

 一層、「私は」、は避けよう、物言いは極力控えよう、オブザーバーないし「飾り」的に居よう、・・・・。
 こんな想いをしている今日この頃である。
       
       

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