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おじんのつぶやき



  46.香山リカさんの講演を聞く(18.02.06)

 2月4日(日)、住吉会館ルピナスの4階大広間(定員80名)で、香山リカさんの講演を聞いた。
 私は、広報「西東京」で、講師が「香山リカ」ということだけに反応してのことだったが、この講演、「第10回男女平等推進センター“パリテまつり”」の一環のものの由。
 正直なところこの「男女平等推進センター」なるものも「パリテまつり」なるものもが一切無知であって、今でも市報を切り取った部分に記載がある「パリテとはフランス語で“平等な”という意味です」、「女と男一緒につくろう平和な未来」だけの情報が全てで、当面、この詳しい背景状況などについて、“もっと知ろう”という気持ちには申し訳ないが講演後もならない。
 「第10回」ということでそれなりに続いてきたのだなとか、頂いた情報誌が「Vol.19」で年に2回発行かな、発行が住吉会館内を住所地とする市の部・課だからいったいどういう位置づけなんだろうかということを感じたくらいだ。
 一昨年の講師は山口香さんだった由、今回香山リカさん(という私は非常にお呼びするなど難しいと思われるひと)を、こもれびホール以外の今回の住吉会館ルピナス会場にお呼びできたことへの感嘆的なことはあった。
 定員80人室が満杯になり、主催者や市長の挨拶は他の部屋で音声だけでも聞こえるようにいろいろやっていたようだが、結局うまくいかないということで講演本番時にはさらに場所を詰めて全員入っていただいた。100人を超える聴講者だったようだ。消防法違反ともなった状況であったが、香山リカさんという人が、私が独占的に素晴らしいひとと思っているだけではない証拠をまざまざと思い知らされた。

 ともあれ、講演会の方は、テーマは、【「私らしさ」を輝かせる生き方】であった。
 テーマが、「私らしさ」を輝かせる生き方、であるから、「私らしさ」を輝かせていない(と思っている人たち)、「私らしさ」などない(と考えている人たち)に対し、
 日常の自分が「自分らしさ」、「私らしさ」だ、見えない制服、ダブルバインド、メタメッセージ、等の「権力」(この語は香山さんの言葉ではない。フーコーを勉強している過程での語である、私の解釈である)の囚われから自分をして解放し、「自分らしく居よう」を念仏のように唱え思い起こし、自分をねぎらい、励ましていこう、・・・・ こんなことになるのではないかと思う。

 私はもうかれこれ10年以上前から香山さんの著書には関心があった。少しインテリと思っての仕事仲間のある女性に話しかけたことがあった。「勝間和代、香山リカ、やはり香山リカだよね」。なにか曖昧な応えしか得られなかったことを思い出す。

 もともと私は、会社員時代の最晩年に、嘱望され(?)て出た子会社での生活に身心が合わず、メンタル面で押し潰されて1年ももたずに出戻りし、戻った親会社では暫くの現役的役割を経過したのち窓際族的になり、現役的役割の時にタッチした「早期退職勧奨」に自ら名乗り出て、満60歳の定年(2004年7月末)を前にして2003年度末(2004=H16年3月31日)付けで退職していた。今から約14年前である。ミレニアム対応は親会社でし、世紀の変わり目の年末年始挨拶は子会社でしたから、子会社への移動は2000年の総会時、出戻りは多分2001年の3月であったろう。
 子会社時に精神科の医療に初めて接した。頂いた薬を飲んでいるとあまりにも眠くなり、会社でも応接室で寝てしまうことなどもあり、これでは、と今度数日飲むのを控えていたらある日会社で突然背中がものすごく痛くなり、一歩も動くこともできずについに救急車で近くの病院に運ばれた、という余禄までついていた。ともあれ、メンタルな病気でも「薬を飲む」という治療があることは当時の私には新たな世界であった。しかし「心」の回復は思うようにいかず、上記の出戻りとなった。

 ともあれ、私の人生転記は退職時より前の56~7歳とみている(http://higuchi-akiro.net/subsite1/ojin81.html)。 窓際族時代に『我が半生の記』も自作し(http://higuchi-akiro.net/subsite2/index.htmlにリンクさせてある)、退職の日は日常的に過ぎ、その後は「小うつ」状況はときどき“自覚”はしたが、「自覚」という知見は心強いものとなっていった。そのような私の第二人生の支えの一つがまぎれもなく精神の病に対する知見を増すことであり、何冊かの「うつ」に関する著書が背後の本棚にはあるが、香山リカさんのものは、私への処方箋を越して、その先へ足を踏み出させるように感じさえした。
 併行して仏教学、現代思想等に親しむことによって、自分とはなにか、世界とはなにか、を「他者」の目で一望俯瞰的にみること、香山リカさんの著書や今回の講演も、そういうことを教えてくれていると私は思う。納得を増してくださった。
 あるときは、『侘は是れ吾れに非ず、更に何れの時をか待たん』(道元)であり、また、あるときは、『「私」は私の多重人格のひとつにすぎない』(内田樹)であり、またあるときは、『しがみつかない生き方』(香山リカ)であったりした。
 『世の中の意見が<私>と違うとき読む本』では、例えば“経済学者の立場は学生時代のゼミで決まっている?”の項などには苦笑させられたりもしたが、最後の項が、“そしてまた戸惑い思いあぐねる日々”、感動的でさえある。
 いまでこそこうして「私」は人生転期以降、一気にではないものの現在の充実していると感じられる第二人生を送れていると感じているが、途上においては兄嫁、実妹を失った。兄妹6人兄弟の長兄の嫁には我々小姑も、そして私たちの母である彼女にとっての姑もそれなりに気を使ったのだが最悪の結果を招いてしまった(姑は長兄が気をまわし施設に入った。そこでの生活を経て同系の病院に移りその後亡くなったが途上での長兄の嫁の死は知らせなかった)。やはり郷里で嫁に出ていた実妹も近所付き合いなどの関係で悩んでいて、精神科病院に通院するとともに私や他の妹に長電話で状況を訴えてきていた。寝込んでいたとはいえやはり突然死。「脳血栓」と言う事だった。もう詮索することさえタブー的になっているが私を含め残った兄妹5人は複雑な気持ちであった。こんな事情も抱えているため、先ほどの座右の銘的言句の続きではないが、『デタラメ・あきらめ・いい加減』(ひろさちや)であり、『構造主義的日本論:こんな日本でよかったね』(内田樹)ならぬ『構造主義的「私」論:こんな「私」でよかったね』、の心境をもっともっと育てていきたいと、まさに念仏のように自分に言い聞かせる日常である。

 そうはいっても、名護市長選結果を知って、ニーチェ→フーコー的に「畜群め」などと思ってしまう自分もいたが。

 もう一度「ともあれ」であるが、香山リカさんといえば、著書の表紙裏の黒ぶち眼鏡をかけた紹介写真が世の中に定着しているようで、講演終了後の質問にもあったが、ダテ眼鏡とのこと。ただ大概の彼女に対する多少の知識がある人にとっては定着写真とのズレから、まるで別人と思えたことだろう。私もそういう感嘆を覚えた。その他にもいろいろ印象的なことがあった。長い講演をしている間、一度も据わることはなく、しかもそれだけでなく身振り手振りを交え、演題上を左右にゆっくり移動し、まさに100人余全員の一人一人に丁寧に話しかけるよう。そうでいて、話し方はゆっくりということでなく、流暢そのもの。さすが、大学の教授であり、それ以上にコミュニケーションを大事にする「精神科医」であることが充分納得させられた。
 さらに別の感想。失言がなく異を唱える余地が全くない。判ってもよい自己のことは話の中に自然に入っているが、現在は、「飯田橋の方の病院」、「いくつかの企業の産業医」というようなことが自然の話の中にはまり込んでいて、知る人は知るとしても、それ以上の必要以上のプライバシーは触れられない。
 いつまでも「香山リカ」ファンでよいのだ。男性が1割くらいの講演だったが、さわやかさを残して家路についた。

       

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