復活

おじんのつぶやき



  4.幸福とはなんなのか(16.7.21)

 「日本人の幸福って何なの?」。新聞の「声」欄投書に感激して切り取ってきた。日にちは書き忘れた(手許に新聞を置いてない)ので、分らないがもう一週間以上前だ。留学生だ。国名は文のなかにある。

 こんな内容だ。

 「私は日本に来るまで、日本は立派で偉大な国だと思っていた。来日当初も、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見て、私の国ベトナムとの差は大きいと感じた。」
 と書きだしているが、10か月過ぎ、違和感を感じてきていることを中段で記している。それはメンタル面、「いつも心配事があるような顔をしている。」に現れている。そして次の2フレーズ。

 「日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。でも、会社や組織への貢献ばかり考え、自分の成果を自分が享受することを忘れていると思う。ベトナムはまだ貧乏な国だが、困難でも楽観的に暮らし、めったに自殺を考えない。」

 「経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。日本人は何のために頑張っているのか。幸福とは何なのか。日本人自身で答えを探した方がいいと思う。」


 私はもう干支を6周もして、過去を総括しつつ、「いまのいま」を常に”良かった”にするよう意識的に行動してもいい歳になっており、現に、意識して行動しているつもりだ。しかし実際は、このことは、「歳」には関係ないはずだ。
 私の今までの人生での最大の悔恨は、もっと若い年代において今のこの心境が得られなかったことだ。
 「れば、たら」の話にはなるが、この心境が途中でも得られていれば私の第一人生は大きく違ったものとなっていただろう。

 私の第一人生は、中学校に入学したときに、レール、それも自己制御が効かないレールに乗ってしまったといえる。もちろんこのレール上に居ても、少しはレール上に居ることを忘れて外観に見とれる時もあった(高校生ころなど)。しかし、大半は、というよりも、殆どが、レールの先しか見えず、「いつも心配事があるような」状況であり、全く周りが見えない、いや、見る余裕がない状態、視野狭窄でただ年を経ていた、と「いまでこそ」なのだろうが、つくずく総括できる。
 「侘は是れ吾れにあらず」「更に何れの時をか待たん」、といまの我が座右の銘のごとく、自分の位置づけ、自分の行動等の意義を認識しての納得のいく時間は殆どなかった。
 会社を退職してこのレールから外れ、そこから見えてくる世界の広さを始めて知った。その俯瞰のなかでの自分の足元もまたよく見えるのである。私は退職後を「第二人生」と言っている。

 山水に接すれば「古仏の道現成なり」で、触れるものからいつも学ぶ。最初のHPの「ぶらりわが街」第1号の出だしは、

 「散歩をしていると、さざんかがいたるところで見られる。こんなにどこにもあるということは、通勤で、朝晩決まった道しか歩いていなかった昨年までは知らなかった新発見である。そしてまた花をつけている期間が長いこと!。11月ころから咲いて、この1月になってもまだ咲いている。」 であった。すべて新鮮であった。

 
 冒頭の投書に戻ると、いくつか連想されることがある。

 まず、「一番でなければいけないのですか?」、例の蓮舫の言である。
 私は非常に同調するのだが、今の日本人は、どちらかというと、「何言ってるんだ?」が多いのではないか。というよりは、なににおいても、少しでもベクトルを「勝ち組」側に向けているのはもう言外の常識というように洗脳されており、蓮舫にこういわれたときの説明者側は恐らく反発どころか言葉も出ず、ただポカンとするだけ、という光景が浮かぶ。
 要は過去の私のように「レールに乗ってしまっている」ので、蓮舫の言の意を解すことさえできなかったのではないか。
 この「レールに乗せられている」という年齢層は、下は20歳から18歳に、上は60歳から65歳にと幅を広げ、上記のように「私自身」のその年代時代の行持を顧みるに、恐ろしさを禁じえない。
 前方で、「れば、たら」の話を自分の悔恨話として記したが、実際はいまや普遍的にさえ思える時代状況と思える。
 近代以降の諸制度の画一化が一種の全体主義的状況をさえもたらしているかにみえる。

 次に、やはり前のHPのどこかで触れたが、ブータンの国王夫妻がきたときほんの一時だが話題になったことだ。ブータンは貧しい国だが、国民は世界一幸せな国ということも良く知られている。「GNH=Gross National Happiness(国民総幸福量)」で世界一ということだ。私はこの尺度についての詳細は知らないが、日本人の大半は今や「無視」だろう。
 「国」の力なり量なり順位なりよりも、私は、想像されるこの指標のような、「民」のそれの方がはるかに重要だと思うのだが、どうもレールに乗っている人口が圧倒的に多い今の時代状況では、アウトサイダー、マイノリティであって悲しい・・・・・・。

 そこで次にだが、手許にいま資料がないが、やはり新聞「声」欄投書で頭に残っていることがある。「自民党改憲案を読んでみよう」的な題だった。何点か問題点を指摘していたが、私が頭に強く焼き付いているのは、表現改正点の中に、「国民」が単に「国」に、ということがあった点である。まさに上記2題と連動してくる。人より組織重視、平和より力、私に言わせれば完全に間違ったナショナリズムだが、レールに乗っている人々はそのように考えてみることすらしない。
 中国だ、北朝鮮だ。南シナ海だ、尖閣列島だ。ISテロ横行だ。この状況をどうする?と恐らく突いてくる。
 私は、それでも、「国力」「軍事力」の増強よりも、「国民平和力」「国民の心の豊か力」が大事だと主張する。

 アウトサイダー、マイノリティであってもこのような考え方から転向するつもりはない。合致した行持を続けよう。 

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