復活

おじんのつぶやき



  27.仏教者の今次戦争責任について(17.09.15)

 私は、先行するつぶやきの続きのかたちで、「マルクス唯物論思想と仏教思想を起点にして現代世界をみれば倫理・道徳についても結論が出せる」というような、いま考えればあまりにも安易な仮説を妄想していた。

 たとえば、北朝鮮の状況であり、かつての戦時の仏教者の戦争への協力などは、倫理・道徳的にも「普遍的」回答が得られる、それはいわゆる「公理」のようなもの、上記の二つの「起点」から手繰れば証明される、などと随分身勝手な妄想をしたものであった。

 いろいろ勉強してみた。まさに「妄想」であることを思い知らされるばかりであった。

 ただこんな文章にも出会った。
“近代の思想家には、「精神世界のニュートン力学」を築き上げたいという夢があった。そして善とか悪とか正義とかの問題に対しても、ユークリッドの幾何学のような厳密な証明をしてみたいと願っていた。”
 これは、加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫)内にある一文であるが、デカルト、ロック、スピノザ、カント、ベンサムなどがこの夢を追いかけた、とある。その意味では、私の最初の出発点としての着想も、あながち即否定されるものではないと少しは思ったものであった。哲学者の追求の対象であったのだ。
 要は、表面的に判断するのではなく、公理のようなものから俯瞰的に見よう、という共通点があるとはいえる気がする。

 
 急に、全てに通じるレベルに突き進むことはできない。
 「戦時中の仏教者の対応」について倫理道徳的な面でつぶやく。勝手な「つぶやき」で理論などとは到底言えない。

 もともと私が仏教に関心をもって勉強しているとはいえ、「日本の」は二の次で、汎仏教的、どちらかというと原初的なインド仏教に比重を大きく持っていたので、今回のつぶやき対象についての知識はほとんどなかった。ただ、なにかで戦中に積極的に仏教者も戦時体制に協力したということを記憶の隅に持っていた。今回、後述する本を読んでいてそのことを再確認したのだったが、その本は、以前にも読んだ痕跡がいっぱい残っているのに新鮮に読み進めた。もしかしたら朧なる記憶は同書からだったかもしれない。
 また、もしかしたら、小説である臼井吉見『安曇野』に記述があったかもしれないという想いはあるが、あの大部をもう一度目を通す気には到底なれない。
 ともあれ、その記憶が当のいままさに下記する本だとすると、もっと他の本でも確認しなければならぬ。『安曇野』はさしおいても、日本仏教の歴史に関する在庫書籍を片っ端から当たった。しかし記述が見つからない。『日本仏教思想史』などという本格的なものも含め、大体が、廃仏毀釈など明治初期のところまでで終わらせている。
 結局のところ振り出しに戻るが、確認したという当の本は、末木文美士の、『仏教vs.倫理』(ちくま学芸文庫)、『日本仏教の可能性』(春秋社)の2書である。
 

 要は、仏教会、仏教学者ともみなコンプレックスがあって、タブー視しているのだろう。
 ネットでみると、大分時間が経ってからだが、国内宗派は戦争責任表明はしているようである(下記注:ネットより)。

 ネットから離れて私のつぶやきに戻るが、こんな婉曲的記述には出会った。渡辺照宏『日本の仏教』(岩波新書)
明治以来、今日までのあいだ、仏教はだいたいにおいて一方では時の国策に順応するとともに、西欧思想とも調和する傾向を示した。明治時代におけるキリスト教との論争も深刻化するには至らなかった。多くの仏教徒は戦時には国粋主義にも順応し、また敗戦以来はアメリカ民主主義やキリスト教に対しても好意を示した。
 これは、当面の課題に直結はしないが、日本仏教のありのままの見方とはいえる。

 次に具体的事例として、末木の、まず『仏教vs.倫理』では
大逆事件は、・・・幸徳秋水ら・・・大挙して捕らえられ、・・・二十四名が死刑判決を受け、十二名が処刑され、十二名が無期懲役に減刑された事件である。その処刑された中に曹洞宗の内山愚童がおり、無期懲役に減刑された中に浄土真宗大谷派の高木顕明、臨済宗妙心寺派の峯尾節堂がいる。
 彼らはそれぞれの宗派から擯斥(除名)された、とある。  また、
日本によって中国が侵略されたとき、・・・太虚の指導の下に・・・断固として日本への協力を拒否し、抗日側に立った。同じ戦争協力のように見えながら、日本の仏教者が無批判にやすやすと侵略戦争に加わったことと、天と地ほど違うことである。
 また大川周明の反植民地主義的思想の発展が、
日本のアジアへの侵略は、それのみがアジア解放の道・・・そのとき、大川が、そのような日本の態度を「大乗」と呼んでいる・・・・「大乗」という言葉は戦争中、しばしばこのように日本が他国を侵略する口実として・・・
 ただこの書の言わんとする趣旨からいうと、上記は私の関心からだけで拾いだした枝葉末節であるかもしれない。

 次に同じ末木の、『日本仏教の可能性』から
鈴木大拙が戦後、平和主義の立場を鮮明にして、戦争批判を行っています。そのこと自体は貴重なことですが、あの戦争は全部神道が悪かったので、仏教がもっと重んじられていれば戦争は起こらなかったというように、戦争の責任を全部神道に押しつけるようなことを言っているのは気になります。
例えば、西谷啓治の解釈というのは今日でも非常に大きな影響を与えています。しかし戦争中には、禅の主体的無の立場は東洋的な宗教性の真髄であり、それは滅私奉公でお国のために尽くすということにあらわれていると正面から言っております。戦後、それに対して自己批判したり取り消したりしたということはないようで・・
臨済宗に関してはまた戦争中に戦闘機臨在号を献納したことに実証的に迫った水田全一さんの・・・

 当面、これ以外に具体的には探せなかったが、戦争を体験していない世代である私がとやかく言うことではないという考えも成り立つ。ある意味無責任なものになる。ただ、歴史に学べば、ガリレオの「それでも地球は回る」や、三木清の獄死などがどうしても頭をよぎるのである。
 そして私は、戒・定・慧のを経たの究極「諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静」(四法印)という仏教の原点(これは後には色即是空・空即是色に通じるが)、そしてもう一方唯物論的に人間社会の歴史の原動力が労働で、その上に成り立つ資本主義が戦争を引き起こすというマルクスの知見をもう一つの原点として、その二つの原点を重ねて、一切の人間社会の時空三次元の究極原点からものごとを俯瞰し、そこから仏教のに相当する基本的教え、「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」(七仏通誡偈)や、いわゆる十善戒といわれる、不殺生・不偸盗・不邪淫(以上は身業)・不妄語・不悪口・不両舌・不綺語(以上語業)・無貧・無瞋・正見(以上意業)など、大乗・小乗に関わらず仏教の基本の基本であるのに、なぜ仏教者はその存在意義を果たせなかったか、という想いからがつぶやきの出発点であった。

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 しかし、ことはそう簡単ではない。

 冒頭の、善とか悪とか正義とかの問題に対しても、厳密な証明をしてみたいと願っていた立場は、「厳密主義」と呼ばれ、「倫理的命題もまた厳密に証明できる」という立場である。前述したが、加藤『現代倫理学入門』の第8章は「正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同で決まるのか」の題名のもと縷々論述されている。結論的な部分は、
近代哲学の夢は、倫理学の内容を数学や幾何学のように展開することだったが、その夢は消えてしまった。しかし、純粋に形式的に厳密ではなくても、常識的な意味で十分に客観的な倫理学は可能であるかもしれない

 なお、私はマルクス主義に少し拘っているようだが、マルクス主義を充分理解してのものではなく、多分に内田樹の影響を受けている。位置づけは私の勝手なものだが、内田の著作を読んで、いつも表面の何でもないことの裏側、土台側を見せつけられ、いつも感心しているからである。後日つぶやこうと思う。

 マルクス主義(唯物論)については、著名な仏教学者中村元『宗教における思索と実践』に、
今次の戦争・・・・いまこそ深刻な反省を行う時期に直面しているのではなかろうか。従前の日本人の精神的態度をかえりみると、一般日本人はあまりにも権威に隷属する傾向が顕著であった、という事実があまねく指摘されている。・・・しかるに敗戦とともに、従前からの伝統的権威なるものが、一朝にして崩壊した。・・・・しからば、何にたよるべきであるか。いま日本人は思想的混迷のうちにつき落とされているのである。ヨーロッパではキリスト教・・・・現在の日本・・仏教は思想体系としては理解されていない。・・・・敗戦とともに、若い世代の一部によって熱烈な支持を受けているのは、唯物論である。・・・唯物論の有する重要なる時代的過渡的意義を認めることができる。・・・・しかし唯物論には重大な欠点が存在する。唯物論は、その立場にとどまる限り、人格の尊厳ということを理解しまた説明することができない。・・・(縷々長く論述してその節の結論は)・・およそ、唯物論の立場からする人生の改革は絶望的である。

 加藤『現代倫理学入門』は、全章自分の無知をしらされるが、第14章「正義は時代によって変わるか」は関係がある。
普遍的だと思われていた価値基準が、場所によって正反対になる。この変化を積極的に認める立場を地理的相対主義という。永遠だと思われていた価値基準が、時代とともに変わり、時には逆転する。この事実を支持する立場を、歴史的相対主義という。・・・(思い当たることは多々あろう)・・・真理も正義も美も、自立的価値ではなくて、別のあるものに引きずられているというのが、相対主義の底にある見方である。所変われば品変わる。郷に入らば郷に従え。時代が変われば、善悪の基準も変わる。・・・ 「通約不可能性」・・たいていの相対主義者は、独断主義の本性をさらけ出す。自分だけが二つのパラダイム世界を客観的に認識していると告白することになる。・・・・基本的人権や生存権については、「どちらでも好きにすればよい」という原則は成り立たない。・・・独立して共存の余地のある観念体系の間には、相対主義が成立する。しかし、人間の生命や健康については、普遍的で客観的な尺度が大きな役割を果たしている。
道徳的な評価をする人とされる人の間が「通約不可能」(宇宙人と地球人のように)であるかどうかは事実問題であって、それ自体が道徳的評価ではない。・・・通約不可能な独立な観念体系が共存できるなら、相互不干渉の原則を守ればよい。・・しかし加害者と被害者の関係がありうるなら、相対主義は無意味である。共通の価値基準を用いなければならない。・・・(縷々あるが)・・人々が「価値観が変化する」と信じていることは、価値判断以外の別の要因の変化なのであり、価値判断は本質的には変わらない。だから異文化同士が接触したり、時代の変化が急激である時には「何が同一であれば変化に耐えられるか」こそが問題になる

 私の個人的な理論では、上記により、不殺生を旗印とする仏教者においては戦争は忌避すべきだった、北朝鮮は、(国内人民の生活の状況をなんらかの方法で得て、まだ証拠なき状態であるが)、かつての我が国の、鍋釜・牛馬供出など「生命」を脅かす状態を強いられているのではないかということから現状を批判すべき(私は個人的には北朝鮮はいずれ自壊すると私的会話では言っている)という想いは得たと感じている。

 しかし末木の『仏教vs.倫理』の第1章に言う。
僕が大学院時代に指導いただいた田村芳郎先生は、篤い『法華経』信仰を持っておられた方だが、学徒出陣で軍隊にとられたとき、上官から「天皇と『法華経』とどちらが上か」と問われて、「天皇」と答えざるをえなかったという。・・・そのことへの慚愧が、その学問の原点になったと、しばしば語っておられた。
 これが、私だったら当然そうなっていただろうと思うが、大体の者が同じ対応をするだろう。
 しかし、なおかつマルクス的はさしおいても、仏教的な公理(仏法、仏道)に該当するところに照らせば、色即是空で「慚愧」、そして空即是色で現実に対し「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意」なり十善戒なりで、自己及び他者に対し、正しく生き、対応していかなければならないだろうと思う次第である。

   
   
(注:ネットにみる国内宗派の戦争責任表明):http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=5631

 真宗大谷派の宗務総長が日中戦争勃発から50年目に当たる1987年に「全戦没者追弔法会」で戦争協力を自己批判したのが最初とされる。同派は同じ法会で、1990年には伝統教団として初めて法会の趣旨を告げる表白(ひょうびゃく)で、2000年には全文口語体に改めた表白で門首が戦争加担を懺悔した。1995年には、宗議会(僧侶からなる議会)と参議会(信徒からなる議会)でともに、戦争責任を懺悔し、不戦の誓いを表明する「不戦決議」を採択した。以降、「不戦決議」が平和活動の根拠となっていた。
 浄土真宗本願寺派は、湾岸戦争を機に1991年に宗会(宗派の議会)が太平洋戦争への協力を懺悔する決議を初めて採択した。1995年には門主が「終戦五十周年全戦没者総追悼法要」で戦争責任を懺悔し、これが後の平和運動の指針となった。
 曹洞宗は、民族差別表現などがあった宗務庁監修・発行の差別図書の回収・破棄通知に併せて1992年に出した宗務総長名の「懺謝文」で、過去に関与した侵略と植民地支配についての懺悔を表明した。「懺謝文」は公式サイトで平和活動を紹介する頁で、活動理念のように引用が紹介されており、全文も掲載されている。
 浄土宗は、1994年の「太平洋戦争五十回忌法要」で門主が戦争協力への懺悔を表明したが、宗内からは明確な対外的表明とみなされず、2008年の法要「世界平和念仏別時会」で宗務総長が発表した「浄土宗平和アピール」で改めて内外に戦争協力の懺悔を示した。
 臨済宗妙心寺派は、禅宗の戦争協力を告発する『禅と戦争』(ブライアン・ヴィクトリア著)を読んで衝撃を受けたオランダ人女性が管長宛てに戦争責任表明を求める書簡を出してきたことや、米国同時多発テロと報復攻撃を批判する前に過去の懺悔が必要と判断されたことから、ハンセン病問題を宗門として看過してきたことへの反省を含めて、2001年に宗議会で「非戦と平和の宣言」を採択した。
 日蓮宗は、立教開宗750年となる2002年に、日蓮宗現代宗教研究所所長は『仏教タイムス』で、1948年に宗務総監(現・宗務総長)が東京裁判の判決に対する所見を『日蓮宗宗報』に記したのが教団としての最初の戦争責任表明と説明した。だが、一般紙では日蓮宗は戦争責任を表明していないとみられているうえ、宗門内でも2005年の全国宗務所長会議で「戦争協力への反省を表明しないのか」と問われている
 天台宗では、1994年の『毎日新聞』(11月17日)のアンケートでは戦争責任を公に表明しているとされたが、2001年の『朝日新聞』(12月3日夕)では「ない」とされた。2002年に宗務総長がイタリアでの「世界宗教者平和の祈りの集い」や宗議会の執務方針演説で戦争加担を懺悔したが、宗派として対外的に明確な戦争責任表明はないとされる。


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