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おじんのつぶやき



  23.反省、懺悔、しかれども(17.08.09)

 香山リカの『世の中の意見が<私>と違うとき読む本』(副題:自分らしく考える、幻冬舎新書)に、「なぜ経済学者はみんな言うことが違うのか」という章があり、そのなかに「経済学者の立場は学生時代のゼミで決まっている?」という節がある。本の帯は、「答えはすぐに出さなくていい」「メディアや識者が押しつける「正義」への、積極的判断保留のすすめ」である。香山リカの言説には共感すること大で、著書所持は複数冊である。

 ちょっと横道に逸れるが、

 いわゆる仏教の「禅」は「こだわらぬ」「迷うな」「莫妄想」であり、その地平は、生まれる前のまっさらなこころ、不染汚・静寂なこころを出発点としなければならない。そのために釈尊も瞑想し、坐禅というものもある。坐禅は当代の我々に簡単にできることではないが、地平が「染汚以前」、内心の自我の「欲望・恐怖・自尊心・先入観・コンプレックス」などが外界の刺激と連動して「けがれに染まる」、これが「煩悩」なのだが、それ以前になれ、ということだ。煩悩以前、煩悩から覚めて現実を正しく把握し、よりよく生きる道を体得せよというものだ。禅的な表現をすればこうなるのであって、禅門に限らず「仏教」の地平はみな同じである。自己を、世界を、何の前提もなく不染汚状況において「いま、ここ」を生きよという教えなのだ。

 先の第17号で、山折哲夫が、仏教の考え方にはものをみる眺望や展望をひろげるのに貢献する。社会の全体が見えなくては社会の発展を予測できないとして、世界を相対化、「こえる」意味でマルクスの根本思想とも通じる有効な思想武器である、ということを紹介した。

 竹村牧男も『仏教は本当に意味があるのか』(大東出版社)で、混迷を深める現代において、一人一人に生きる方向を与えてくれるところを本義とするも、彼によれば仏教思想は「世界が様々な条件の下に成立すること」を語るもの、但し「限界」があるとしている(「限界」:世界をいかに規定しかえし、裁ち直し、造りかえていくかの方面について展望する思想ではない、未来を拓く思想としての限界がある―p195)。

 いずれにしても仏教的生き方とは世界を、自分を、心の不染汚状況を出発点として相対化、俯瞰的にみてことに当たれ、である。
 

 それなのに如何?
 そもそも香山リカ「言説への共感」もすでに好き・嫌いの「染汚」の現れである。冒頭の「経済学者の立場は学生時代のゼミで決まっている?」に至っては、まさに「ムッ、ムッ、ムッ」である。
 香山リカのこの本は初めて読んだわけではない。2011年3月出版、間もなく入手した本である。デフレ問題に対してインフレターゲット論を主張する「リフレ派」と、当時の白川日銀総裁のそれを取り込まない政策の継続を支持する「日銀応援団」との構図に、精神科医香山リカのもっともな言説の章であり節である。

 私は大学で「経済学部」に所属したものであり、当然経済学の大枠の勉強はしている。経済原論としては近代経済学(いわゆる「近経」)が課されていたが、ゼミはマルクス経済学系、いわゆる「マル経」であった。
 近経系ではアダム・スミスの古典派経済学、途中の諸派を経由してジョン・メイナード・ケインズのケインズ経済学、ミルトン・フリードマンのシカゴ学派の理論、それにマル経系で、カール・マルクスのマルクス経済学との4人の経済理論の概要の理解が必要であろう。
 私はそれなりに勉強した。旧サイト(http://higuchi-akiro.net/subsite1/ojinmigi.html)の2009年、2010年ころである。私はその結果として近経系最先端の「新自由主義」の流れに非常に危惧を感じた。しかし日銀総裁は黒田東彦に、副総裁にあの勉強時点で「こりゃいかん」と判断した岩田規久男などリフレ派にすげ替えられてしまった。アベノミクスの一環でもあった。マルクス経済学は社会主義の失敗によって肩身は狭くなっていた。

 新自由主義は格差を拡大させている。勝ち組の論理である。インフレ・ターゲットは一向に達成されない。そもそもリフレ論はアベノミクスと併せ、経済政策上の「誤り」なのである。個人であれ団体や組織、そして国であれ、「我(が)」を放任しすぎ、個人は「勝ち組・負け組」、組織や団体等においては内容の格差は無視して全体の数値において「一番でなければいけないのですか」に不信・不解の体質になっている。「国」アベノミクスは経済、経済と叫んで他の国政正常化から逃げ、GNPだの成長率などに心を奪われている。

 かくして、私は「マル経」ゼミ出身で、結果的に香山リカ曰くの「立場は学生時代のゼミ」と基本的には変わっていない、ということになっている。社会主義は失敗したが、マルクス経済学の「資本主義がいかに非人間的なものか」という分析、「歴史がなにが元で動くか」という分析、いわゆる資本主義の問題点の指摘にはいまだに有効であって、日本経済はいまだ産業循環上の「長期平成不況」のなかにあり、時代の課題に応じた新しい理論が要請されるのであって、今までの理論の延長に固執していてはいけないと考えている「反近経」の輩である。

 だから、反省、懺悔、しかれども、である。

 なお、もっと酷い「染汚」を紹介しよう。
 Windows10のタイルボックスにニュースを大枠で設定している。時々「エッ」と思い内容を見ると、櫻井よしこであったり、産経新聞であったり。もっと素直になりたいとは思うが、記事内容をみて違和感を覚え、その後の確認が結果的に上記であった、ということで、どうしようもない溝のようなものもある。
 
 

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