復活

おじんのつぶやき



  1.退職してからもう一回り(16.6.26)

 今年、平成28年は丙申、6回目(生まれた年を入れると7回目)の干支である。
 退職した平成16年、2004年の「還暦」(生まれた昭和19年、1944年の甲申の再来)などもう目じゃない時代だ。いままで気づかなかったが、私は満36年勤めて退職したことを常々言っていたが、36年は干支一回りである12年の倍数であり、その退職年が干支の年(満60歳になる7月を前にした3月末に退職)であったことと合わせ考えると大学卒業・会社入社年も干支の筈となる。まさにその通りであった。大学卒業・会社入社年である昭和43年、1968年は戊申の年であった。
 とすると、私の人生、結構干支で区切られたものであった。

 最初の小学校卒業までの素朴な第1周。苦しさが先にたつが、青春の思い出もたくさん作られた第2周。そして就職して退職するまでの、いまから考えると年金受給資格が取れたことにのみ意義を感じるだけくらいの、第3〜5周。そしてその後の第6周の終りが今年なのである。さて、この第6周をどう総括する?

 この第6周を総括するとき、私はまず、というかすぐに、2点を考えた。
 @  ”自分”というものがなく、機械の部品であったような第3〜5周を底にした洗面器的イメージ。
 A  かつて言及している私の「16年周期説」との関係であった。


 先にAについてであるが、自分の人生周期を勝手に16〜17年周期と考えてのものであった。
 はじめの小学校に上がるまでの期間は半端期間で、周期の後ろにも同じだけの期間がつく、
基準単位(X軸)は「日」でなく、「月」で、周期は16〜17年というなかでの区切りのよい数値、「200」にし、敢えて生まれた日を基点にせず、理屈に合うように、第1周期開始の「小学校への就学」点(実際は直前の3月、生まれてから80ケ月)を「0」として描いてみたものである(旧ホームページのおじんのつぶやき第81号にはこの波をサインカーブにして悦に入っていた)。
 ただこの理屈なるものが、はなはだ頼りない。人生イベントにメンタル面を重ねて、
17年間の学業期間、17年目に課長という管理職の一角、34年目、2001年ころに大きな転機」というものだった。

 しかしいまここで考えてみると冒頭に記したように人生の大「イベント」はほとんど干支である「12」の倍数になっているではないか。「200」などといういいから加減な数でなく「144」をワンサイクルとするカーブを描けば大イベントは必然的に「0」近くになる。要は「12年」の倍数ないしその中間に位置する年齢である。6歳年に小学校入学、12歳年に中学校入学、24歳年
に大学卒業・就職・結婚であった。そして退職が60歳年であった。16年周期説は過去のものとしよう。

      

 次に@である。中学校生活が最も苦く思いだされる時期への突入だったこと、退職時期が精神的大打撃後の明るい時期への突入時期だったことから連想されたことだった。だから第1周期=平行、第2周期=斜めに底へ、第3〜5周期=底這いとすると今年で節目になる第6周期=斜め上昇で再び表面へ、だ。
 たしかにこの退職後の12年、シルバーでの地元との繋がりによる就業も満10年にもなるし、やはり地元と関係がある西東京三田会の位置づけ・参加の形、好きなカルチャー分野への向き合い方、どれをとっても、「やらなければならない」、ではなくて、「自分から参加していく」、という日常生活様式に概して満足を感じているといえる。
 このことは、第6周期の「総括」ともいえる。上昇型であったことを嬉しく感ずる。

 とすると来年からの第7周期、対象形人生で、第1周期を逆転させたように素朴から幼児還りして、84歳で洗面器の対岸の淵に到達したいものだ。 

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