半生の一こま


8.真一兄作成図による旧家の思い出ー補遺(16.9.1)

 先日兄弟会があって、真一兄が全員に作成図を下さった。
 その前に送っていただいたもので私はページを作っており、私のコメントなども読んだうえで、ご自分なりに変更したところもあるという。私のページを作っている図も差し替えたらどうか、という。
 私はそれはしない。
 とにかく、それなりにかんかんがくがくするところもあった。時期の違いや記憶の程度など様々で、これを一元的に決する必要もない。
 一方で、先の「T」では、「真一兄からは10年弱前に旧家屋敷全体図をエクセルで描いたものをメールで頂いていたのに何代かパソコンの変遷を経て見当たらなくなっていた」ので云々という記述があったが、エクセルデータは見当たらないものの、プリントしたものが発見された。印刷が薄くて見ずらいが、これを提示し、先日の兄弟会の折の議論などへのコメントを加えるなどして「補遺」としよう。

 まず10年弱前にもらった図を掲載する。

 
 文字が小さくて読めないが図形で判断できる。
 思い出図Tとの最大の違いは、「川」が描かれていることである。本流と、裏田んぼの方に流れる小川を分離する場所であり、その様子が判るとともに既に両川間に相当の高低差ができてきているのだが、その中島の2本のクルミ及びクリの大木、そしてマーケット前辺りの杉の2本の大木など、懐かしく蘇る。

 上方の屋敷内については、土蔵のなかの籾入れ位置、玄関二重戸などは最初にもらって、「T」に掲載したものと同じだが、私のコメントが採用され、兄弟会時のものは直されている。
 兄弟会の折議論になった蚕室裏のカキの木の本数だが、「T」掲載及び兄弟会時のものは3本になっており、皆から2本だったヨ、とされたが、上図はちゃんと2本になっている。

 牛小屋の北側が「T」及び兄弟会時と違う。これは想像がつく。ちょっと隙間を置いて別建物が建てられたのだが、私はその建物がない時点を知らないだけだろう。私はこの隙間がヤギ小屋になったり、新設の小屋が鳥小屋やお風呂に使われたころから記憶にある、ということだ。

 お風呂といえば、上図では裏のお勝手を入ったところにあるが、私はこの時代は知らない。母屋の玄関内にあったこともあった。とにかく五右衛門風呂で動かせることもあって、お風呂の位置は安定しなかった。

 細かくみればまだいろいろあるだろう。とにかくみんな懐かしい。同じことを書くが、姪・甥は知らない世界、そして親たちもいまや居ない。我ら兄弟、そしてちょっと離れているが一人だけの従妹、しか共有できない、私の自己満足の代物だ。  
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