半生の一こま


真一兄作成図による旧家の思い出ーV(16.8.6)

 さらに、前号に続く真一兄作の図からの思い出。土蔵、牛小屋など、蚕室。

 
 土蔵

 真一兄の図、ちょっと印象が違うところがある。

 ひとつは、石段登って入って右側の漬物などの置場前には扉があったような気がする。
 二つ目、籾入としてあるのが入って正面にあるようになっているが、私は入って左側だったような気がする。

 ただ、いずれも時代的に変化しており、この土蔵だけは唯一土台が当初のままとはいえ、中は、変わってきている可能性はある。


 私の土蔵に関する思い出は、まずあの「鍵」。その鍵さえあれば子供の私でも開けられたが、土蔵の戸に対する汎用的なものだったのだろうか。おもしろい作りだった。
 次に2階への階段がなんとなく独特だったような気がする。具体的に思いだせないが、狭いスペース、急階段、その階段は固定ではなかったような気もする。2階にかんしての思い出は、大学卒業して、就職したとき大学時代のものを何箱か送ったが、後日整理しようと見にいったが、殆ど整理してくれてしまっていたことなど。
 入って右横の漬物のところにはいつも母(母ちゃん)についてきたことが思いだされる。
 蚕室

 蚕室は早い時期に取り壊された。
 1階の南側の板間で父が、蚕の繭を作らせる「ショク」(という呼び方だったと思う)を作っている姿、周りに稲藁がいっぱい積んである光景。
 1階最北の間は畳敷きで、疎開で横浜家族が居たという「話」は聞いていたが、覚えがあるのは一時中部電力のひとが下宿していたこと。

 2階は最北が畳敷きだったという感覚はおもいだせない。真ん中部分に繭を作らせる「かごだな」(?)が有ったことが朧げだがあるが常時でなく、走り回って遊んだような気がする。子供だったからよいが、大人だったら天井が抜けたかもしれない。
   
 牛小屋など

 牛小屋を中心にしてその南側は土間の物置やトイレなど、牛小屋の北側はバラック的に固定性のない部分だった。

 牛小屋になっているところは、私の覚えている限りでは、役牛時代と乳牛時代があった。子供でもたずなを引いて田んぼなどに連れていった場面はあったような気がするが、さすがに、田起こしや、あらがき、しろかきなど牛に引かせるものを運転したり乗って田んぼのなかを制御するようなことは父がやるのを見ているだけだった。

 牛小屋では、そこから堆肥を運びだすことはよくやった。敷藁と牛糞が混じった堆肥で、外の決まった一定のところに積み上げる。これを田んぼに運び、あらがきの前に手で均等に撒くこともやった。今の子供ではとても考えられないだろう。

 牛小屋の北側はよく変わった。山羊小屋というのは後期で、風呂場があの位置にあったのは覚えがない。鶏小屋というところが風呂場だった時期は覚えている。
 牛小屋の前に兎箱とあるが、これには覚えがある。短期間だが兎も飼った。

 牛に関しては、それを飼っている父の様々な場面が思い浮かぶ。早朝まだ我らが寝ているとき草刈りに。冬は稲藁を切り刻んでなにかを混ぜて餌桶に入れ餌をやる、あるいは、草刈り鎌などを川端で研いでいる姿、・・・・・・。

 みんな懐かしい。同じことを書く。姪・甥は知らない世界、そして親たちもいまや居ない。一角(一番下の妹)は欠けたが、我ら兄弟しか共有できない。まさにHPなどに載せる対象ではなく、私の自己満足の代物だ。  
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